先日は松本先生より、『歎異抄』の中でも特に有名な
善人なおもって往生を遂ぐ
いわんや悪人をや
(歎異抄第3章)
の意味について、聞かせていただきました。

目次
どうして善人より悪人なのか?
善人なおもって往生を遂ぐ
いわんや悪人をや
(歎異抄第3章)
「善人でさえ往生できるのだから、まして悪人はなおさらだ」
これを聞くと「善人と悪人が逆ではないのか?」と疑問に思うかもしれません。
もしこれが世間一般に言われるような「善人」「悪人」の意味、
たとえば自費で被災地のボランティアに行く「善人」と、
お金を騙し取るような「悪人」
という意味であるならば、
とんでもないことを親鸞聖人が仰ったように思われるでしょう。
この疑問を解くには、仏教で教えられる「悪人」とはどんな人なのか、よく知らねばなりません。
仏教は本当の自分を映す鏡
釈迦は仏教のことを「法鏡」と譬えておられます。
「真実の自己の姿を映し出す、鏡のようなものが仏教だ」ということです。
自己を知る鏡には、他に他人鏡(他人の評価)や自分鏡(自己反省)もあります。
しかし他人鏡はその人その人の都合によって、
「あの人は良い人」「悪い人」
と評価が変わるので、本当の私を映してはくれません。
同じく自分鏡も、自分のことは欲目でどうしても悪く見ることができないから、
本当の私が分かる鏡ではありません。
では法鏡には、真実の自分はどのように映し出されているのか?
仏教で教えられる「悪人」「善人」とはどのような意味なのか?
について、続けて聞かせていただきました。
編集後記
私も最初、歎異抄第3章のお言葉を聞いた時は疑問だらけでした。
「悪人はなおさら救われる、ってどうして?」と。
今日聞かせていただいて、この親鸞聖人のお言葉の意味の深さを、改めて知らされました。
正しい教えを聞かせていただいたからこそ、出てくる感動です。