令和7年8月24日、東京桜台会館で、
吉岡晃一講師をお招きして、
法話が勤められ、
浄土真宗の葬儀で必ず読まれる
蓮如上人の書かれた「白骨の章」について、
老若男女問わず、共に聞かせていただきました。
蓮如上人 『白骨の章』
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、
六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ御文章 5帖目 第16通「白骨」(蓮如上人 )
このお手紙を通して、聞かせていただきました。
すべての人は、「浮いたもの」にすがっている
「人間の浮生なる相」とは、
浮いたものにすがっている
すべての人の姿のことです。
私たちは、何かを信じなければ生きられません。
どんな人でも、何かをあてにして、
たよりにして、生きています。
金や財産、夫や妻、子供や健康など、
これらのものを私たちは、
時間やお金や労力を使って、
日々、命懸けで求めています。
しかし蓮如上人は、これらのものは、
私を裏切っていくものだと仰っておられます。
私たちの人生は、
苦しみ悩みの波の絶えない難度海ですが、
丸太や板切れのように浮いているものに
すがってみても、大きな波がやってきたならば、
裏切られ、潮水飲んで苦しむことになるのです。
浮いたものにすがっているから、
裏切られ、苦しみ悩むことになるのです。
親鸞聖人は歎異抄に、
以下のように仰っておられます。
よろずのことみなもって、そらごとたわごと、真実あることなし
『歎異抄』 後序
私を裏切らない、
いつまでも続く変わらないものは、
どこにもないことを教えてくだされています。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
生きているものは、
やがて必ず死なねばなりません。
そんな私たちの一生は夢、幻のようなものです。
1年前に撮影した食事の写真を眺めてみますと、
確実に食べたはずなのに、
今となっては本当に食べたのか
実感がないことに気づきます。
考えてみると、蓮如上人の言われる通り、
私たちの毎日は、夢、幻のようなものです。
日々は飛ぶように過ぎていき、
そうして私たちは、
あっという間に死んでいかねばなりません。
蓮如上人が「我や先 人や先」と
言われているのは、
「死」と聞くと他の人が先に死んでいくものと
思っている私たちに、
自分が先に死んでいかねばならないことを
教えられているのです。
「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」と
仰っておられる通り、
朝、「行ってきます!」と
血の気の通った赤ら顔で出て行った家族が、
交通事故に遭って、
その日の夕方には亡くなってしまうことが、
毎日ニュースから聞こえてくるのが
現実ではありませんか。

「後生の一大事」を心にかけよ
無常の風に吹かれたならば、
どんなに若い人でも、待った無しで
死んでいかねばなりません。
この世界は、「老少不定」の世界です。
年老いた人から先に死ぬとは
決まっていないのです。
ちょうど、風が吹き荒んでいる中では
長い蝋燭も短い蝋燭も関係なく、
風に吹かれればその火が消えてしまうのと
同じです。
無常の風の前では誰もが皆、同い年なのです。
しかしそのことには気づかないで、
日々を過ごしています。
灯の風中にありて滅すること期し難きがごとし
『往生礼讃』 善導大師
死んでいく時には、
今まで頼りにしていたものも
すべて我が身から離れて、
たった一人で暗黒の後生へと
旅立たなければなりません。
これを後生の一大事と言われます。
人は死んだらどうなるのでしょうか。
この不安な心を抱えたままでは、
何をしても、
本当の安心も満足もあるはずがありません。
だからこそ蓮如上人は、
「誰の人もはやく 後生の一大事を心にかけて」と
叫んでくだされています。
では、どうすれば、
後生の一大事が心にかかるのでしょうか。
それには、生きている時に、
往生一定の身に救うと誓われた、
阿弥陀仏の本願を、
真剣にお聞きするよりありません。
往生一定とは、
死ぬと同時に極楽へ往って仏に生まれられることが
生きている今、ハッキリすることを言います。
阿弥陀仏の本願を聞いて、
往生一定の身に救っていただくところまで、
東京桜台会館で、真剣な聞法に励みましょう。
