先日は松本先生より、親鸞聖人の教えはなぜ生きるの答えであることを聞かせていただきました。

親鸞聖人の教えは「なぜ生きるの答え」
親鸞聖人の教えていかれたことは、なぜ生きるの答えです。
私達は普段から聞かせていただいているため、当たり前になってしまっているかもしれませんが、
なぜ生きるの答えを聞かせていただいていることは、大変幸せなことです。
昨年、日本では21,543人も自ら命を絶ってしまいましたが、その根本にあるのは
『どんなに苦しくても何のために生きるか?』
が分からない苦しみです。
なぜ生きるの答えを親鸞聖人はこのように仰っています。
難思の弘誓は難度の海を度する大船
(教行信証)
難思の弘誓は、阿弥陀仏の本願のことです。
釈迦が仏教を説かれたのも、ただこの阿弥陀仏の本願1つを説かれるためであった、と親鸞聖人はこう断言されています。
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
(正信偈)
阿弥陀仏は大宇宙全ての仏方の先生ですから、釈迦も阿弥陀仏のお弟子です。
弟子である釈迦が、先生の阿弥陀仏の本願を明らかにされたのが仏教だと、親鸞聖人は教えてくださっています。
阿弥陀仏の本願とは?
本願はお約束ということです。
阿弥陀仏はこのようにお約束されています。
どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に
しかしこの「必ず助ける」を、死んだら助ける、と誤解している人が大変多いです。
親鸞聖人の教えの一枚看板は平生業成。
平生業成とは「生きているただ今、人生の目的を達成できる」という意味です。
この人生の目的は「絶対の幸福」であると、高森先生から教えていただいています。
『教行信証』の冒頭のお言葉では、阿弥陀仏の本願(難思の弘誓)は難度の海を明るく楽しく渡す大きな船である、と教えられています。
人生の目的=絶対の幸福とは?
難度の海とは、苦しみ悩みの波が次から次へとやってくる人生を喩えられています。
あまりに苦しいので、近くに浮いている丸太や板切れにすがります。
すがった時はやれやれと一時安心しますが、浮いたものですから、クリっとひっくり返ってまた塩水飲んで苦しまねばならない。
この丸太や板切れに喩えられているものが、絶対の幸福に対して、相対の幸福です。
例えばお金や財産、地位や名誉など、私達が普段求めている幸せを、相対の幸福と言います。
相対の幸福には、続かないという特徴があります。
なぜならお金や財産、地位や名誉など、いずれも「ある土台」があって初めて、喜べるものだからです。
その「ある土台」とは、健康です。
健康でなければ、いくらお金や財産などがあっても喜べません。
しかし健康もまた続きません。
いつ病気になるか分からないし、死が来たら崩れてしまいます。
それに対して絶対の幸福は、絶対に崩れることがありません。
絶対に変わらない幸せです。
この大船に乗せていただいた時に、絶対の幸福になれるのです。
ではどうしたら、大船に乗せていただけるのか?
「仏法は聴聞に極まる」と教えられています。
ですから続けて、仏法を真剣に聞かせていただきましょう。
編集後記
親鸞聖人の教えにまるで縁の無かった自分が聞き求めるようになったのも、
「なぜ生きるの答え」が教えられていると知ってからでした。
人生の目的を知らされた者の苦労は、報われる苦労であるとも教えていただきます。
続けて聞かせて頂きたいと思います。