T.F.さんの紹介

今回はT.F.さんを紹介します!

目次

1. 生まれ育った町

群馬県の、伊香保温泉で生まれ育ちました。

観光地ではありますが、

田舎で学校は一つしかなく、

同級生は保育園から中学校まで一緒でした。

旅館業を営む家に生まれたため、

土日も親は働いており、

家族で外出はできませんでしたが、

親が働いている姿をいつも近くで見ていたので、

寂しくはありませんでした。

伊香保温泉

2. 子供のころ

私は3人兄弟の次男として生まれました。

勉強はそこそこでき、

田舎の学校だったためライバルがおらず、

成績は良かったです。

父が、子どもにはいい大学に

入ってもらいたいと、

4つ上の兄に熱心に教育している姿を見て、

怒られたくないという理由から、

私も一生懸命勉強しました。

また、面白い人だと思ってほしいために、

何かバカなことをやっては、

周りを笑わせようとしていました。

私の生きる軸になっていたのは、

いつも他人の反応や評価でした。

ただ、それが生きづらいとは思っておらず、

生まれた時から当たり前でしたし、

そういう他人の顔色を窺うことで、

上手く生きていけるんだ、

とさえ思っていました。

3. 仏教を聞いたきっかけは?

死ぬことが怖かった、

と感じていたことだと思います。

子供の頃みた夢で忘れられないものがあります。

それは誰からの視点なのか分かりませんが、

目の前には宇宙と地球が見えるのです。

目の前の惑星がどんどん遠ざかるように

小さくなり、最後に、バツっと真っ暗になって、

なんの感覚もなくなる、そんな夢でした。

なぜそんな夢を見て、それがこんなにも記憶に

はっきりと残っているのかわかりませんが、

死ぬということは、手に入れたものを

なにもかも失ってしまうことなんだと、

子供心に恐怖したことを覚えています。

そのことは大きく影響したと思います。

4. 仏教を聞いて感動したことは

私たちはお金やもの、愛や力など、

様々なものを求めて生きていますが、

それらを持っている人も、持っていない人も、

それぞれに苦しいと教えられる、

有無同然の教えです。

大学に入学したときに、

小中高と上位の成績だった私は、

お山の大将だったことを思い知らされ、

自分に自信がなくなっていました。

周りの顔色を窺ってばかりだった私は、

何かに没頭したり、集中したりするのが苦手で、

彼らに付いていくことに精一杯でした。

サークルや好きなことに打ち込めず、

部屋にこもっていることが多くなりました。

大学2年になる頃には、心を殺すことにも慣れて、

味気ない毎日を、

淡々と消費しているような日々でした。

自分がいなくても、

この世には能力の高い人が沢山いて、

その人たちが世の中を良くしていけるのなら、

私が頑張る意味ってあるのかなと、

こんな中途半端な自分にできることなど

あるのかと、力が入らなくなっていきました。

しかし、その絶望感をわかってもらうことは、

おそらくできないだろう、とも思っていました。

自分は経済的にも、学業面も、人間関係も、

色々なことに恵まれた人間だと思っています。

だから他人に相談しても、

贅沢な悩みと思われるだけだと考えていましたし、

自分に悩む資格などないと言い聞かせてきました。

でも夜一人でいる時間などのふとした瞬間に、

現れる、生きる意味に悩む不安な気持ちは

どうしようもできませんでした。

そんな時に、この有無同然のお話をお聞きして、

仏教を聞くご縁に恵まれた時のことは

忘れることができません。

私の人生史上、最も大きな出来事です。

5. 聞き続けようと思ったのは

聞き続けようと思った理由は、

死ぬことに、恐れや不安を感じているからです。

幸せな時ほど、死が恐ろしくなります。

大学に入って初めてパートナーができた時、

幸せの絶頂がきたかのように思いました。笑

デートの前日などは、本当に楽しみでしたが、

今だけは死にたくないと感じたものでした。

死によって、楽しみにしていることが台無しに

なってしまう感覚がありました。

幸せと死の不安は、切っても切れないようでした。

仏教を続けて聞いていくうちに、

「大命将終悔懼交至」の仏語をお聞きしました。

大命将に終らんとして悔懼交至る

「臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるやってくる」

『大無量寿経』

このお言葉をお聞きして、

仏法から離れられなくなりました。

私は夏休みの宿題などを早めに終わらせる

タイプだったため、仏教を聞きはじめのころも、

「さっさと結論を聞いて、離れてしまおう」

そんな風に思っていました。

しかし、

「苦しみの根元は無明の闇、

死んだらどうなるか分からない心です。

死んだらどうなるか、考えたことありますか」

と聞かれ、死によって、

今までに自分がやってきたことも、

楽しみにしていることもすべて、

意味がなくなってしまうということに

改めて向き合わされました。

死を前にすると人間は

どんな感情で覆い尽くされるのか。

どこに旅立つのか分からない恐れと、

自分をごまかし、その問題を放置し続けてきた

過去の私自身への後悔が、

代わる代わるやってくるという

話に、衝撃を受けました。

仏法を聞き続けていくにつれて、

残念ながらご縁が遠のいてしまう人があります。

あの人がこなくなってしまったのかと

ショックなこともありました。

そんな中、私が仏教から離れられない理由は、

後悔すると知っていながら、

無明の闇から目を背け、臨終に後悔するのは

極めて愚かではないか、と思うからです。

仏教は、仏様の教えられたことであり、

その教えは因果の道理に基づいており、

否定できる部分がありません。

また、「仏語に虚妄なし」と言われるように

仏様の教えには嘘、偽りがないのです。

仮に自分が仏法から遠ざかったとしたら

いざ死んでいくときに、

「なぜもっと仏教を真剣に聞かなかったのか。」

と思うでしょう。

「悔懼交至」、そう教えていただいていたのに、

その教えから目を背け、向き合おうとしなかった

後悔を思うと、私は仏法から離れることを

とても恐ろしいことだと思えるのです。

私は、事故や災害によって人が亡くなる

ニュースを見聞きした時、

もし、自分がその立場だったら何を思うか、

ということをよく考えます。

そんなときにいつも行き着く先は、

「もっとああしておけばよかった」という

生き方への後悔ではなく、

「なぜもっと真剣に仏教を聞かなかったのか」

という死の問題を蔑ろにした自分への後悔でした。

死を目の前にして、全ては失われる。

仏教を聞き、死の問題を解決しなければ、

そうなってしまうと知らされた以上、

その問題から完全に目を背けるような行動は、

できなくなってしまいました。

6. 今の聞法活動の原動力

聞き続けたきっかけと同じですが、

後悔したくないという思いです。

人間に生まれ、生きている今、

死の大問題の解決ができる仏教、

親鸞聖人の御教えを聞いて、

できる限り精一杯、

その教えを実践したいと思います。

また、多くの同年代の若い法友たちが

仏法に出遇って喜んでいるので、

自分も頑張ろうと、元気をもらっています。

7. 今後の抱負

親や子供、妻も共に仏教を聞いていることが

嬉しいですが、家族皆で、ただ聞きに行くだけ

でなく、真実を喜ぶ身になれるように、

聞かせていただきたいと思います。

子育てを通して、

両親が自分をここまで育ててくれた恩を感じる日々

ですが、帰省するたびに、

両親の背中が小さくなっていることに

寂しさや儚さ、無常を見せつけられます。

仏教を共に聞かせていただき、

幸せになってもらいたいと思います。

また、自分の子供に対しては、

仏教を伝えてこそ、

「この人のところに生まれてきてよかった」

と思ってもらえると思います。

親鸞聖人の御教えを真剣に聴聞し、

縁の深い人たちと共に、

誰かと比べる相対的な幸せではなく、

比べる必要のない、何があっても変わらない

絶対の幸福にならせていただきたいと思います。

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