先日は吉岡先生より、何のために仏法を聞くのか?
について教えていただきました。

仏法を聞く目的
皆さん一人一人、親鸞学徒になる時に
「このために仏法を聞き求めよう」
と決心した「原点」があったと思います。
世間でも「原点回帰が大事」と言われますが、
私達が仏法を聞く「原点」、つまり「目的」は何でしょうか?
後生の一大事の解決。
これ一つです。
後生の一大事の3段階
では、後生の一大事とは何か?
これは3段階に分けて考える事ができます。
1)死の大問題
(いよいよ死んでいくとなったらどうなるか?)
2)死んだらどうなるか、の大問題
3)死後に引き起こる大問題
今回は特に1)2)について、詳しく教えて頂きました。
1)死の大問題
私たちは「生きていること」を前提(土台)にして、
「これを得たら幸せになれる」と思って、
お金や財産、家族や友人、地位や名誉、趣味や生きがいといったものを、
「生」の土台の上に積み上げています。
しかし「死」はこの土台を、根底から揺るがします。
長く大きくしようと努めてきたシャボン玉のように、
それまで築きあげたどんな成果も、最期にグシャリと握りつぶされる。
これが、どんな人にもやってくる死の大問題です。
2)死んだらどうなるか、の大問題
次に教えていただくのは「死んだらどうなるか」「死後が暗い」一大事です。
死は100%確実な未来なのに、来世は有るのか無いのか、有るならどんな世界か。
まったくわからず真っ暗がりです。
未来が暗いと、現在の私の心が暗くなります。
5日後に生死を分ける大事な手術があるのに、
「今日だけでも楽しくやろうじゃないか」と言われても、
心から楽しむことはできないでしょう。
他にも老後の問題や、火事や災害、事故や病気の心配など、いろいろありますが、
全ての人に100%確実にある未来は死です。
その確実な未来がハッキリしないままで、明るい現在を築こうとしても、出来る道理がないのです。
どうしたら後生の一大事が心にかかるのか?
後生の一大事は全ての人にやってくる大問題ですが、
私たちは後生の一大事になかなか心がかからないので、
どれだけ原点を確認しても、確認し過ぎということはありません。
蓮如上人は『白骨の御文章』で
「誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて」
と教えられていますが、どうしたら後生の一大事が心にかかるのでしょうか?
自分で「死ぬぞ、死ぬぞ」「後生は一大事だぞ」と思えば分かるというものではありません。
ひとえに、正しい教えを真剣に聞かせて頂くことで、自己の姿が照らされ、知らされていくものです。
続けて正しい教えを真剣に聞かせていただきましょう。
編集後記
年末年始はプライベートで忙しく、仕事が始まってからは一時的に仕事量が増えて忙しく、
そうこうしているうちにもう1月も20日以上過ぎてしまいました。
忙しいという字は「心」を「亡」くすと書く、と聞いたことがありますが、
だからこそ会館で心落ち着けて聴聞し、自分が「仏法を聞き求めよう」と決めた初心を振り返るのが、
かけがえのないことだと思わずにおれません。